【二黒土星】高島易による2018年の12月の運勢

1 二黒は東の方位三碧木星の宮にいる。二黒は「土」三碧は「若葉」の意。土は木によって剋される(相剋)関係にあるので、注意を促す月。

 

2 12月の運勢・・・ミスや錯覚が生じやすい衰退運。気を抜かずに思ったことは積極的に行動に移すと成果あり。(三碧の若さを活用して)。新世代の情報収集に力を入れる事。新しい目標が見つかり、心にゆとりが生じます。家族や仲間とコンサートやディナーショーに出かけ、気持ちの切り替えも必要です。寒い時期ですが、早寝早起きは開運を呼び込みます。

 

3 吉日・・・7日 16日 18日 25日 27日  注意する日・・・3日 5日 11日 21日 23日 30日 。

 

4 二黒は慎重派なので、初動が遅い、其のためタイミングを逃しやすいことがある。2019年にも繋がる事なので、はやめの対応を心掛けるが吉。若芽の影響もあり事は旨く行くので、飲み会には積極的に望むこと、新しい出会いや発見を語り合うのもОk-。忙しく体調を崩した時(例・口内炎ができたら迷いのある意)転換期を迎える流れになるので、種まきをしておこう。

 

5 2018年の二黒は強い運気を備えていた。二黒は「母」なる星なので、あなたが娘なら、母親のアドバイスに耳を貸そう。ははの教えを守り、母の指示を尊重して行動する事が大切。 従妹の息子の例である。ある時母親であるいとこが、学校に呼び出された(当時息子は中学3年生、高校受験を控えていた時である。)。理由は「流行りのものを原価より高く売りつけていた。原宿で仕入れ地方の地元の中学の同級に売っていた。お金の出どころは何処か?」などの内容であった。

 

息子は自宅の母の財布から、お金数回に渡り抜き取っていた、これを元手にして、電車で原宿に行って買い付けていった。(学校は遅刻する事しばしばであったと説明があった。)(取り巻く大人家族は、全員教師であり、二世帯住宅として互いに助け合っていた。)

 

次の行動は進路。皆の反対を押し切って、「私立高校へ入学」。親に相談無く、退学し就職した後に報告を受けて、青天の霹靂。今でいうところの IT企業に就職し、可愛いお嫁さんを連れてきた。どっと晴れ。

 

6 ありがとうございました。良いお年をお迎えくださいませ。

【一白水星】高島易による2018年12月

1 一白は南西方位の二黒土星の宮にいる。一白は「水」二黒は「畑 田んぼなどの土」の意。大雨が降れば土を流す、しかし水がなければ作物は育たない。干ばつもまた人や他の生物に影響する。

 

2 12月の運勢・・・予定事は全て順調に運ぶ月。社内でも後進育成や子どもの教育の見直しをする月。時には専門家の話も聞き、根気よく取り組めば結果は付いてきます。

不動産関係では思わむ利益が見込まれて、金運も上がるのでできるだけ貯蓄しておいて吉。備えあれば憂いなしのここで、新年に向けて準備万端 整えて吉。

 

3 吉日・・・6日 17日 24日 26日   注意する日・・・2日 4日 11日 13日 20日 22日 29日 31日 。

 

4 2018年の一白は北西の方位にいた。己の信じた道を進むに吉、やるべきことや今までモヤモヤしてきたことが「明確」になると言う意もあった。北西は「主」の座る椅子のこと、決定権をもつ勢いの位置。しかし、あらゆることをじっくり見渡すこと しっかりと見逃さずに見極める事、慌てて行動してはいけない。チャンスを逃すのは賤の意。なぜなら、2018年のようなチャンスはしばらく巡ってこないからである。

あえて言うならば、2017年の一白さんはどのように生きましたか?

12月は「三土」の線上にある月なので、なんとなく体も不調かなと感ずる月。宴会では飲み過ぎに注意です。

 

皇帝の座を固めるには防御だけではない。すべてを「許す」広大な心が必要。

 

5 2019年は楽しい事もあるが、何事に対しても、「油断大敵」を忘れずに。

 

2018年ありがとうございました。良いお年をお迎えくださいませ。

【九紫火星】高島易による2018年12月の運勢

1 九紫は北の一白の宮にいる。相剋の関りにある。九紫の「火」と一白の「水」であることで、位置として単純な説明である。

 

2 12月の運勢・・・平素の努力で無事安全な吉日。 会食や宴会が多くなる月です。場を覆いに活用して親睦を図る事。 良いアィディアが思い付き、多くの人に喜ばれます。冷え性や冷えのぼせには注意。いくら才能があっても健康を損なっては良い仕事はできない。何事にも今季幾冷静に取り組む姿勢が来季の道を開く。

 

3 吉日・・5日 16日 23日   注意する日・・1日 3日 10日 12日 13日 19日 21日 28日 30日   (注意する日が多いと感じるかもしれませんが、一白の宮に入っていることを考慮すれば自然な流れと観て気を付ける事で、もしなにかあったとしても小に収める事が可である。)

 

4 旧暦の2月3日(4日の人もいるが「閏年」の有無による違い)から翌2月2日までを一年するが、今時代にあっては新暦を用いているので、カレンダー通りであるが、新旧の交差している期間は両方意識しても良いのではと、個人的に考えます。

 

5 2018年は中宮に坐している。何をやっても成果が出る年である(当然努力あっての事である)。この利点を活かしてこれまで温めてきたことを慎重にスタートさせても良い年である。もし「12月の今の時点で」上手くいかなかったことは、2019年にじっくり「多方面で学ぶ年」になるので、熱い気持ちは持ち続けよう。

 

残り少ない日を迎えるが、気分転換に自分の気持ちが真に惹かれる場に行き、感じ学びたいと気持ちが動くものを探すのもОk-。

 

何かと忙しい九紫は家族団らんのチャンスは大いに活用すべし。この冬は疲れがたまり過ぎない様に十分な睡眠をとろう。睡眠中は体も固くなるので、寝具はかるいものを 

使用して、奮発して新しいものを。(⋈◍>◡<◍)。✧♡。

 

良いお年をお迎えくださいませ。ありがとうございました。

【三碧木星&五黄土星】水に声なき 恋愛事情

   一刀

 

夜も更け日付も変わるころ、電話がなる。・・こんなに遅く誰だい・・「今すぐ来てください」・・えっ!夜も遅いので明日にでも・・「人が死ぬか生きるかの瀬戸際に  とにかく今すぐ来てくださいよ」・・は ぃ・・ナミは直感的に飲んでいるんだなと。行くしかないと正直に思い至った。

 

いきなり上半身を裸にされた。そして、ナミのブラジャーに、日本刀をなんども突き。「俺がこんなに悩んでいるのに、あなたは冷たき過ぎる・・」ナミは言葉ひとつ浮かんでこない。怖いという感情すらなかった。只、前の記憶だけが鮮明に強く激しく、何度も通り過ぎた、それだけであった。どのくらいその場に止まっていたのか?ミクロ単位の、離人的なナミの肉体が在るのみである。

 

どのように帰宅したのか、漆黒の中をただ通って自宅に帰り、ただ眠っただろう。服は身に着けていたのだろうか、この世のできごとなのか あの世でのことだったのか?

 

    黙

 

ナミは次の日もその次の日も、なにごとも無かったように子どもたちと向き合っていた。自宅でも同じ、なにごともない日常を送っていた。

三碧も五黄も一途な傾向がある。ただ、五黄に対して「支配的」になるとこの「身」は消えて風の中に潜んでしまう。息を殺して、果ての果てに存在自体を始めからなかったかのように押し込む。三碧は雷そのもののように、感情をあらわにし 時にはストーカーのようになり酒乱と化し、強引な指示命令を出す。「オレの女だ」と錯覚していたとしても、若芽が狂うように繁る。爽やかで生まれたばかりの春である。大空に湧くような水が地に落ち、なんとなくまともに見られないこころ、誰にも止められない。

 

そういう星の意を持ち合わせていることを、ナミは感じていた。命がけの地獄を味わってきたはずなのにどうしてと思い出す。「一途な」関係と言うものは互いの燃えつく火のように強烈に抱きあう。なにも考えられない、その人しかない、時間も他の存在も消してしまう、あーあ眼をつむれば、熱い涙が肌のか細い隙間を透けていく。

 

   秋

 

心が高ぶり、三碧さんが花の傍に寄りて「咲け、花よひらけよ」と言えばそのようになると思っていたのかも知れないが、ナミはとうとう「離人症はとてもつらい」と、善人ではないが十字架はあまりにも重いというような「手紙」をおくった頃、三碧さんはお努めを終えて師のいる京都へ帰る事となった。

 

   白い 雲

 

秋のいちじるさは 空の碧をつきぬけて 横にながれ流れた白い雲だ なにを語っているのかそれすらナミにはわからないが、りりとかなしい静かな雲だ。

 

むかしそのむかし、天子さまがおわした、赤い松の幹は、感傷・・・。

 

つづきます。

【三碧木星&五黄土星】水に請えなく 蝦夷りんどうに添う 恋愛事情

   鷹の爪

 

今夜は、和食料理店へご一緒させてもらう。市内にこんなお店があるのかと感心しながら、後ろについて路地の奥へと進む。ナミは誰かと夜の街に繰り出すなんてことは、職場の食事会以外出没することは無い暮らしであった。

 

人一人しか通れない細き竹のある小径である。そういえば、タケノコはぐんぐん成長し、秋を迎える頃には、親竹を超える程になるんだったことを思い出した。タケノコが旬を迎える頃は、親竹もくたびれるようだ。時過ぎて仲秋の頃には元気になり、若竹と共に青々とした葉をつけるらしい。ナミは「人も同じだね。子に吸われて仕事を全うし、自身の花も枯れたかな!でもさ、今夜は少し違うぞ!」などと、ぶつぶつ思っているうちに、三畳半ぐらいのお部屋に案内された。

 

メニューはおしゃれな名のついた七草のようではあったが、大したことがないとは言えないし、・・まぁ、こんなものかと・・子たちは言う「おかあさんのごはんが一番おいしい。」最高、これぞシングルマザーの鏡やと自負しているナミだから当然かな。お稲荷さんだって、油揚げを買ってきて、油抜きから始めるからな。・・うまい。当たり前の事や・・。

 

三碧さんは京都で仕事をしていた時期もあり、出張先が京都の場合は出番だと言っていたから、尚更、口は肥えているはず。帰り際「今度は美味しいところを探しますから」と言っていたので、首を縦に振ったナミである。次回、落ち合う日は後で連絡しますとの事。複雑な心境なのである。子にも、もっと恐ろしいのは職場。女の勘は猛獣より鋭い、かまをかけられる、嘘が苦手で、ついつい顔に出てしまう弱点がある。「渡さんこの頃少し?じゃない?」と陰で言われているかも知れない。

 

職場内で本当にあったこと。結婚している男性保育士と独身女性の怪しい行動が、園長まで通じてしまったというちょっとした事件となったのである。理由は・・保護者たちの「うわさ」。口に戸は立てられないと言うではないか!

 

車から降りようと体を動かしたはずが、とんでもない ことをしていたナミ?三碧さんの左ほおに「チュッ!」と。魔が差したとしか言いようがない?想定外の、しかも無意識のうちにやってしまった、取り返しのつかない事を?

 

ナミは仕事柄「うんうん!大好きチュッ!ぎゅ」は高度なしかも自然な保育の一つなのである。アーァ↓!ただの弁解だ。なにしているの。

 

唐辛子は上を向いて実がつくことから、猛禽の爪のように見えてしまう、秋に完熟すると真っ赤になる。吊るしておくと日に日に辛く赤くなるという伝来のルーツを思わせる名前。

 

秋の野山にさく花のひとつ、「竜胆(りんどう」は芒に囲まれても、凛としている。竜胆は、日が翳ると花は閉じてしまう。花入れに竜胆だけを生けたいものよ。

 

つづきます。

【三碧木星&五黄土星】水に声なき 恋愛事情

   おもいなき かなしみのはじまり

 

ナミの帰宅は遅く、平均19時頃。この日はもうすこし遅い。残業は当たり前の職場だったので、なにも考える事もなく、強いて言うならば単なる慣れのせいだったろう。遅い夕食中、家電がなる。「はい・もしもし、ナミでございます。」「藤尾でございます。お帰りでしたか」「はい!」「ナミさん遅くにごめんなさいね。三碧さんが来ているのよ。ちょっと来てくれないかしら?」「はい。わかりました。すぐに参ります。」・・なんだよ こんな夜遅くに!・・

 

このような事は最近の面倒なことの一つであったのですが、師には逆らえない立場、それにしても、こんなに遅く来る方もどうかしてるよね。全くさ、疲れてんのにさ!〈ぶつぶつ ブツ苦さ>。いつも道理「お茶」を立て、深々とご挨拶を済ませ帰宅。こんなことが何回となく続いていた。今宵の月は!なんて~と想像していた時、突然、電話がなる。心持は半ば鬼のよう、声は品の有るふりをして、「もしもし、・・・どちらさまですか?・・申し訳ありません、間違いではないでしょうか・・」「・・あーぁ。はい、・・あーそれはちょっとできない事です・・」と言っているのに、食い下がってくる。・・しかたなくお茶にお付き合いだけすることにして、一件落着。

 

JĄLホテルのフロント喫茶でコーヒーと軽食(タコの唐揚げがおいしかった)。「今日、お願いしたのはこれを差し上げたくて・・」と言って、広げたのは「茶碗」数体でした。もらう理由もないと言ったものの、そうですかと引き下がりそうにない!相手の方の押しが強い。「茶碗が目的ではないだろ」ナミは直感でそう感じた。しかし、もらってしまった。これだけではない、完全にナミの失態、「・・自動言語・・」をしゃべってしまったことだ。なんという、どうしようもない!

 

その後市内でも一応名所と言われる場所へ行く羽目になってしまい、あがなうすべもないまま。誘拐されてしまったのだ。寄せては引く波の音も、海猫の声も、風さえも。

 

・・「渡(わたり)さん。今後わたしとお付き合いしてくれませんか!」「エッ・・私はシングルマザーで 子どもも二人います。それにあなたはご家族がいる方。それはできません」と言ったその時、ナミは唇を感じた。いきなりなのに、口内にまで侵入、あきれたなんてなんのその。やられた。「あなたの、かなさまは何と言っていますか」「・・自動言語・・」「そうでしょう!」と言って抱きしめられて!!。なんてこと 

どうかしている!在らぬことだ、いかんいかんせ!

 

不覚であった。しかしナミは感じた・・仕事一筋でシングルマザーの役割を果たすべき日々を送っていた。青天の霹靂。

 

誘われたのはナミであったが、実は「夢のなかで」思いを寄せる人と切ない夜を過ごすことが、何日も続いていた。破綻を迎えて5、6年経ったころ、抑圧され続けてきた、情念が引き寄せたとしても、弁解の仕様がないと思うと胸が急に痛い、たまらなく痛い。三碧は巧みで功名な手口をもつ。男女関係に疎いナミは、弱い柔らかな土に自らハマってしまった。海辺では「芒」も探せない。

 

こんな良い月は一人で見て寝る。

 

つづきます。

【三碧木星&五黄土星】水に声なき 恋愛事情

   泡の山

 

待ち人来り。飛翔のおでましや。社中一同の歓迎を受けて、まずは「濃茶」の席へ洋服のままで進む。師は大歓迎、「三碧さん、わざわざおでまし頂きまして恐縮致します。さあどうぞ、こちらにどうぞ」。「お願いしますね!」。主菓子は、師自らのデザイン、舌触り、甘さ、季節の姿が十分であることを確認済みであったが、残念なことに、予想をはるかに超えたお客様のお出でに菓子が足りなくなり、その場を預かる弟子たちの機転に寄り、早めの追加の電話を済ませていたのであった。最高400人は超える事はないと踏んでいた。

 

   亭主と正客

 

「お忙しいところを御出まし頂きありがとうございます。」「イエイエ。遅くなりまして失礼致します。この度はおめでとうございます。」・・・互いに褒めちぎり合う場は茶室ならではのことば。名品の数々に大称賛の正客、亭主の満悦なる有り様を隠すことなく、楽しんでいた。これが今日の茶会の心を最もなごました一服で有ろうことは一同も、成し遂げた感を深く浸るに十分だった。

 

   みどりいろ

 

濃茶は深い緑色、薄茶は薄緑色で、字のごとく安定色である。松の緑、葉のいろ、青畳、青竹、青二才、この国には多種多様の緑に自然に囲まれ包まれて生活している。グリーン車は「満足、まんぞく」空気で満たされている。ナミは「黄緑」をお守りのカラーに選び後生大事に携帯している。このころのナミは一人を満喫し、仕事も趣味も充実していた。

 

   最後のおきゃくさま

 

ナミたちもお相伴にあずかりながら、徐々に片付け始めていたところに、ヒョイっと現れたのは三碧さんであった。言葉は歓迎、気持ちは「えっ!今頃かい。気をつかってよね」と苦笑い。一番手の茶わんの箱を取り出し、包をほどいていく。時間も手間もかかる。だからこそ、幾重にも重ね重ねしまい込んでいるのである。一度切れたスイッチを作動させるのは、なかなかのこと。師の手前もあり、数茶碗では済まされなかったのである。「ナミさん、それから皆さんもこちらへ」と亭主からのひとこえは鶴の一声に等しい。

 

ナミはいやだいやだの雰囲気を醸し出すようなことはないようにと。念をいれたつもりではあったが、正客さんにはどのように届いたのかは知る由もない、この会も「おしまい」であったことには相違ありません。薄茶とは言え、濃いめをお好きと窺っていた事だけはナミにとっても助けであった。

 

延長戦ももう続くまいと気合いを抜いたほうが負けか?ナミは想っていた。このお点前座にいるのはナミの意志ではない。この役割は師の意志である。大老たちの立場にも耳を貸さず、ナミを指名したのである。それよりも「表千家」の門徒であることを許したのはほかでもない、連綿と続けてきた、千家一族の賜物である。

 

   国宝

 

『国宝茶室「待庵」(たいあん)は、現在、千利休作と信じうる唯一の遺構である。二畳敷、隅炉、床は天井まで塗りまわした室床(むろどこ)の形式である。極小の空間でありながら、天井の構成、窓の配置の妙などにより、少しも狭さを感じさせない。』「大徳寺如意庵 立花大亀著・・利休の侘び茶」に書かれている。茶の湯の美とは・・「私は常々、人間がつくりなす美の中でも、この中釘にかかる花が最も美しいと思っています。花だけではなく仏様とさえ見奉るほどの美の創作であると思います。」と絶賛するのは、「浜本宗俊氏の茶事」よりと書かれてある。

 

ナミは読書も好きなので、読み終えた本の記録簿を大切にしてきた。人によっては、喫茶の達人は、この本を読んで止まないと想像する。繰り返して読むことを得意としないナミは、尊厳の意を以って手にとった一冊であることを、決して忘れはしない。なぜなら、「おけいこ」を破門されても、自業自得と腹をくくりて、断腸の思いを抱きながら、時を送ることになると、覚悟の朝を迎えたはず。

 

   エゴイスト

 

ナミは三碧さんのお陰をもちまして、己がエゴイストの有り様を以って修行さえできない身。茶道とはこうした存在である。

 

   茶会のあと

 

満開の桜の後、ホオジロのさえずりは恋をしている求愛の歌のみの意。「さえずり」と呼ばれているのにこんなステキな鳴き声だったとは、久しく忘れていた。蛙たちも相手を求めて鳴きたてる。春になって眠くなるのにはそれなりの理由がある。「目覚めたばかりの蛙の目では求愛しにくいから、近くで気のある人のまなこを借りていくのである。」でもって、人は、春たけなわのころに、ひとしお 眠気ます。昼時、ナミは昼寝タイムは一日のうちで待ちに待った精神安定タイム。OK!。

 

つづきます。