【親子ストレス】を通して思う事

人はやがて思春期を経て、青春期にとうたつする。身体的には大人になっていく。男性は依存していた「母」から精神的にも自立を迫られる。そのうちの一つは体の変化、身体は性的に信号を送ってくる。「性的成熟」の準備をする。日本の父親は息子に対して「心得」を気兼ねなく、緊張せず話す機会を意識しているのかな。

 

保育園でのこと。1歳半すぎ 2歳になっていく男児たちに時々見られること、おむつ交換の時、おちんちんの尿道口あたりが赤くなっていて、痛そうなのである。なかには化膿を引き起こしてしまい、たぶん「いたい!」のだろう。お母さんに様子を聞くと「知らなかった、気づかなかった!」という。最近きになったお子さんのママに聞いたところ、パパに教えてもらったので、おふろで清潔にしていますと。

 

女性は月経は始まることで、母親が準備してくれていたり、子からの報告に寄り、赤飯を炊いたりする家庭があるし、母との付き合いも変化していくような記憶がある。

 

今の時代になっても、社会の閉塞感がつよく、途中で挫折をすると、仕事をする、仲間上司との付き合いにうまく適応できず、本人も自己統制に葛藤の日々を送っていくうちに、仕事はやめた、・・引きこもざるをえなくなってしまった。貯め込んだ抑圧は家庭のなかで、発散しエスカレートすると暴力に繋がってしまう。あるいは自ら命を絶つことにもなっている。

 

自立への自分探しをやり直そうとする人と、歩みだせない人がいる。人間は生まれて間もなく、歩き始める事はできない、動物界では、未熟児として生まれ、家族や地域のなかで、育てられていく生き物。そこで何か、子どもの成長に負荷がかかると、苦悩する。だから子どもは「かすがい、たから」なのです。昔の言葉ではありません。

 

苦手な事を練習してもなかなか上達に繋がらない、反面、得意かなと自分で感じていること、憧れていることがあるなら、、矛先をかえてみるしかない。「好きこそものの上手」というではありませんか。怒って 我が子(我がクラスの子)を泣かせて、いい気分になる人がいますか?

 

保育園と言う「場」はある意味閉鎖的である。「いつでも誰でも、中へどうぞ!」という保育園、幼稚園があることを知ってほしい。オレはそういう職場に席を置けたことへ、お陰さまですというメッセージをおくっている。

 

2歳11か月男児。「かこ先生!だいすき」と、とびかっかてくる。たまに、鼻水をこすりつける。でもとにかく「かわいい!」

 

      赤んぼが わらふ

      あかんぼが わらふ

      わたしだって わらふ

      あかんぼがわらふ          八木 重吉

 

つづきます。