【五黄土星】高島易による2019年1月の運勢

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1 2019年五黄土星は二黒土星の宮にはいっている。育営運・・七年の病に三年の艾(もぐさ)を求む。進展に向かう為の知識を豊富にする年。二黒とは土星の比和関係になる。急激に運気が好転すると言うより、土台を作り上げる時です。自分の主張を押し通すより内面の育成に努める事で更なる成長が期待できます。

 

家族と過ごす時間は「量より質」を意識すれば、無理をせず計画できます。ボランティア活動や修行体験などへの参加は吉。今後の人生に必要なものが見つかり、自分の軸が定まり心穏やかに過ごせる。 仕事は人が嫌がる事を積極的に行うことで目上、周囲のひとからの評価が変わる。

 

「時は金なり」で時には節約も。皮膚病や肝臓病に注意。 「三土」の方位となるので(五黄・八白・二黒の線上にある)要注意。

 

2 2019年1月は月盤により、七赤金星の宮にいる。七赤は悦楽・飲食・休息・長すぎた縁に終わりが来るなどの意を持つ。ミスや錯覚が生じやすい衰運月。家族や友人と楽しい時間を過ごしたり豪華な食事で賑わったり幸先の良いスタートとなる。社交的な面を出せば金運も上がり臨時収入も期待できる。暴飲暴食には十分気をつけて。(七赤の気を取り過ぎない様に)。

 

3 吉日・・・6日 8日 15日 17日 24日   注意する日・・・2日 4日 11日 13日 20日 22日 28日 29日 31日 。

 

4 オレは五黄生まれ。弱い面はほとんど体験済み、良くても悪くても五黄はやっぱり五黄。子ども時代は・なんか変な子、親の言う事には忠実、孤独を好む傾向、親に怒られるとすぐ死ぬことを考え 感情的に走りまくる、体が弱く痩せていて病気になると重症になる、小4年の時、新任の先生をいじめていた。どんなふうにしたのか覚えていないが、転勤後、後悔の念が沸き起こり、手紙を書いて謝罪をした。

 

中学期3年間、担任の先生に反抗し続けた。これにはオレなりの理由がある。今でいうなら、セクハラである。理由不明だがちょっとした時体に触れるからだ。だから授業中「わかる人」との教師の声に生徒の手は上がらない。するとオレの名前が呼ばれる、スッと立って「わかりません」と言う。只、テストでは負けず嫌いを活用して点取り屋に変身。

 

高校期では、オレはおとなしかったが先生たちにとっては、面倒な学年だったようで、「(古典のTには)こんにゃくの角に頭ぶっつけて死んでしまえ」と怒鳴られていた。高3の時、私立大の受験が始まろうとしていた前、生徒会を中心に「坊主頭の廃止」を訴え、集会を続けた結果、先生たちはとうとう諦めた。長髪を認めさせた。

 

大学受験本番、学友たちはこの学校始まって以来と言われるほど、国立大学(地理的に東北大、岩手大、弘大、看護科など)の合格者が続出した年のあまのじゃくっ子であった。

 

5 「唱歌」と言う言葉さえ死語になってしまったような今日。「唱歌  一月一日」

 「 上 真行(うえ さねみち)1851年~1937年。雅楽演奏者 ヴァイオリン名手。 作曲 」  「 千家 尊福(せんげ たかとみ)1845年~1918年。出雲大社第64代宮司。作詞」   一、 年の始めの 例(ためし)とて 終わりなき世の めでたさを 松竹たてて 門ごとに 祝(いお)う今日こそ 楽しけれ 。  二、 初日のひかり さし出でて 四方(よも)に輝く 今朝の空 君がみかげに 比(たぐ)えつつ 仰ぎ見るこそ 尊とけれ。  」。いつ頃から歌われなくなったか記憶に無いのですが、実はこの歌は? 1945年は広島 長崎に原爆投下。ポツダム宣言の受諾(無条件降伏)。民主的諸改革の開始。

 

6 この歌は戦前に作られた。作曲者・作詞家は公人、象徴としての天皇ではなく、天皇を国の最高位とした時代、「君」とは天皇に対して、日本国民の賛辞を歌った曲で、オレの母もしくは祖父母の時代、一月一日には尋常小学校に集まり、式に参列し、みんまでこの歌を斉唱し、落雁のお菓子をもらって帰宅した。今でも口伝えでメロディだけが残っているようだ。「唱歌」には私達の国の 花鳥風月を通して四季や自然の美しさを詠いこんでいるので、「お正月・さくら・春の小川・花・村祭り・七つの子・赤い靴・背比べ・夕焼け小焼け・うれしいひな祭り・鯉のぼり・グットバイなど」。

 

つづきます。