女性

今日は気持ちも爽やかなしかも 一寸体がこわばる感覚を味わう朝を迎えた。降霜もあったろう、山には雪も・・・

オレが親しくさせていただいた賢女性(ご高齢)の父と兄は地元から離れた山へこもるという話をよくよくお聴きしていたのです。想像するに「月山」あたりかな? ここの一族は長きにわたり、山にこもる、たぶん「山伏」。

山に入るとは。ひとは皆母から生まれてくる。胎児であった初めは中間の生です。男女のくべつが不明な時が成長の始まりです。「へその緒」により母と結ばれ 胞衣(えな)によって包まれ外敵から守られている。胎盤は生きる糧をえる。胎児は子宮という宇宙で無自覚に成長している。しかし胎児は父 母 祖父母 曾祖父母・・・そのまんまの遺伝子も生まれてくる細胞に 秘められているということに無自覚なのです。

山に入ることにより、「意識しながら」胎児時代の再体験をしていく。

生まれながらにして持ってきた遺伝子をかみしめ、辛い苦しい時を山に籠るという意識によって、再生を祈願して「帰る」。

女性は日常生活のなかで受胎 出産 育児 家事 仕事(社会の表に出てくるまで多くの女性は自然とともに営んできた)地域の交流 等を自然に「死と再生」をほとんど意識せずこなしている。(月の物・・特別は日を体験する。身はコントロール不可の日もあるのです。オレも激痛 微熱 失神野時も 食欲不振等  程度はその月による) 

男性と異なるのは女性から生まれてくるが 母なる世界をすでに持っているということだと感じました。男性はこの世に生まれたということにより、女性とは異質の存在となる。これは宿命だと感じます。「山に入る」とはこういうことなんですね。

樹木が茂り 水が讃えられ 時には方角さえ見失う闇の内に 「この世の身」を委ねるしかない。「内観」するのですね。

オレも内観体験があります。過ちの多いそれまでの人生は 泣く 唯々涙が留めなく 心の底の深みから流れ出てくる。参加者と言葉を交わしてはいけない トイレは一人で 風呂は太陽光による 食事は残してはいけない 「場」の中から出ることはならない 起床 就寝は定時⁅日の出 日の入り」 つまり電気はない。  「課題を頂き内観する」  時間がくると聴く人が音も無く来て 目の前に正座し前かがみに制して言う。「何を調べましたか!」と。一週間寺に伏す。山伏に似たような環境に、意識してこの身を委ねる。オレは理由は不明であったが 離れたところに坐す男性方のもとにいき、身をかがめて調べたことをお聞きする。合掌をしてその場を音なく去る。という役をやらせて頂いた。最初で最後の体験でありました。合掌

 

山茶花はこの寒さに驚いていることだろう。菰でもあげたいのですがよそ様のお庭ですので、叶わむことです。

 

しつれいします