流れ即ち変化

人の心は季節のように変わっていく。無数のはなびら 色 葉 幹 枝 根っこ 等々のように・・・春には菜の花がすべてを照らす 梅雨にはこころの定まらない紫陽花が雨をも黙らせる 夏には天の陽さえ みとれる向日葵が地面に語らいかける 秋にはさざんかが 微笑みかけて季節の虚ろいまでも移してくれる 冬は葉っぱの落ちた木々の枝が閑に見守ってくれる。こうして心の傷をフト忘れてしまい、深い眠りへと誘われていく快感は水の流れのようであります。

オレの母は、二黒土星 丙(ひのえ・・火の燃えるさま さかんの意)寅年(奉仕的な面もあり、人の為に力を注ぐことも苦に思わず動く。だだし、我も強いので、臨機応変に動ければ発展が期待できる)。  父は四緑木星 甲(かぶとの意。草木の種が地中にあって、皮を破って未だ地上に発芽することができずにいる)子年(経験と知識が豊富で一緒にいて話が途切れない明るいタイプ。協力者に恵まれると力も倍増する。熱しやすく冷めやすい)。

似ているようであるが実は、相克の関係に近く互いに確執があり、見えにくい影に翻弄されたのは家族でした。母は洞察力のある一面があり、家族は勿論の事一族にも貢献した女性でした。父は自分の描いた人生に見放されたごとく、負の面もあったことで、冷めやすい傾向に蝕ばわれる時にはずいぶん苦労した。それは家族に直接影響し、兄は公務員を退職して、季節労働者になり長きにわたり、家族を支え続けた。オレも就職をし、お給料は全額家計に組まれ こずかいは無きに等しかった。弟は定時制高校で頑張り、運よく公務員になり定年退職した。

人は自己選択をしてその家族、 一族に生まれてきたわけではないと思っているが、実は「NО!」であるということを書いてある本を読んだことを必要に応じて、思い出します。人間は大きな流れと変化を求めて、自己決定をして生まれてくる。そしてそれを裏ずけるが如く、生年月日 姓名を得るのです。 

今は病院で生まれることがほとんどなので、生まれ月日を改ざんするのは難しいのですが、昔は否で、オレのおばは2月2日生まれだが 父(オレにとり祖父である)は2が重なることに 何かを感じたようで2月3日と役場に届けたわざなると。もし届けた人が父でなかったならば、おばの人生はすっかり変わっていたことだろう。現実にはこういうハプニングもないわけではないのですから、やっぱり人生は摩訶不思議なものです。(専門家に問うたことですので確かです・・・月日が改ざんされたとしても、戸籍に沿うと)もうひとつ・・・毎日の呼び名はその音の影響を受ける)

 

「本を開くと、まだ見ぬ古の人と、心の友になれます。(ひとりともしびのもとに文をひろげて、みぬ世の人を友とするぞ、こよなう慰むわざなる。)徒然草第13段より。

 

ごきげんよう