【三碧木星&五黄土星】水に声なき 恋愛まで

   20周年記念茶会

 

「春の雨」。眼が覚めた時には、立礼席の閑静な佇まいのなかにいたナミである。男性諸氏によってもたらされ、時代の中心にあり、数寄者と呼ばれる一部の人たちがつくしに尽くした時代にまで「待つ」ことを余儀なくされた当時の意味合いは死語となってしまった。それでも、ほんの一握りのファンは利休師の傍にワープすることは可能だとの想いに浸り過ぎるものが居ても例外ではないはずであった。命がけのこの日は特別な朝。利休師は懐にいる。

 

市内のホテルには創業者念願の広大な「庭園」と茶の湯に生涯をかけて、研究、設計、講演、作家として知る人ぞ知る、憧れの「中村昌生」先生の名が刻まれた茶室が会場となっていた。

この茶室の添釜を成功に導いたのは、わが師とその一団であった。よってナミはその一員として、デビューする計らいの存在、姿なき恩恵を甘受していたのは自然なことだと粋がっていないとは言えない朝、朝食を摂る事さえすっかり忘れていた。

 

   女心

 

「茶」には女性の深い感覚に訴え酔いしれるものがとても多い。ソフトムード、リズム、タッチ、本来受け身の女性にはフィットする。しかも、揺るぎ無いルールが其のことを高揚させる。席についた一角には「わたしとお道具と空間」だけ。不安もない、居るべき場にいて点前を味わうだけの悠久の時に隙間など無いではないか!

 

正客と二客の立てた茶の半東は、次なる人。神聖なこの場を自ら満喫する亭主となるべき待ち人である。半東はいろいろ尋ねられることもあるので、油断禁物。女心の仕草は品が良いと言うわけではない時もある。「着物」に触れる客人です。見定められる魔の手でもある。もっとも知らんぷりして過ぎる事の意地悪な快感を残し、スルーする。「ざまぁーみろ!」と言わんばかりのナミに気づく人は少ないはず。なぜって、ナミを始め社中の者たちは皆、自己肯定力に輝いているからなのよ。

 

  泡

 

抹茶は泡を立てる。流派にもよるが。茶わんの仲に「風景」を創るように茶筅をやや直角風に茶碗の底を舐めらせるからで、これは真に難たる技か。戯に至ることは滅多にないのである。呼吸もままならない。「泡」を舐めるんじゃありません。

 

泡には特別な摩訶不思議な生理的心理的にかどわかす、何かがある。ナミは昔話大好き、漫画大好き、好きすぎて夜明けを迎える事も無きし非ずとか。実は、今風のおたくなんだといえる。

 

泡はおおくの場合夢物語を感じさせてくれたり、渇きを潤すソーダーの様であり、疲れを軽くし、ストレス多いこの世の騒々しい雑多を泡と化し充電してくれる。「人魚姫」は泡となって消えると言う選択をするが、精神の恋の高揚や生命力を与えるものもいただいたであろう。知っている?知らない?・・・特別に少ない情報の一つなのであるが、ギリシャ神話によると「美の神ヴィーナスは地中海の泡の中から生まれたと」。泡は生命誕生の神秘のシンボル!なんとそれだけではない、ヴェ―ルにもなっていると。

 

時代の変容により、女性の場合、茶の湯に触れるとは女性そのもの、生命誕生の宮を預かる者、妻として母としての前向きな夢を、全く無意識のうちに育み、かきたてられるからだ。お茶とはそういうもの。男性諸氏が生を受けたのは母の宮、只、時代と言う魔物が其のことを拒んだだけということだろう。男女は非なるものではないと言うわけ。

 

流れの一派により泡立てない一服もあるとか、また泡を良しとする派も。ナミはその時々によりてナミ自身と心に任せている。

 

きょうは晴れの舞台、同門の伝統を心し、お客様におもてなしをするがナミの役割、全うするのみ。

 

   電話

 

「ナミでございます。おでましなさっていただくのを、おまちしております。」と一報した。人気も少なくなりかけるほんのひと時まえに。誰か気づいたであろうか!

 

つづきます。