【親子ストレス   汐見 稔幸】をとうして思う事

港町八戸の夏、まず「三嶋神社」。大漁や海上安全のかみさまとして、白銀地区の守りかみとして古くから親しまれている。七夕伝説に縁のある宗像三女神がご祭神にちなんで、7月6日に宵宮、7日に本祭と言う流れである。子ども達にとっても楽しみな、露天が並ぶ。祭りの色や駄菓子の甘い香りは、幼い記憶を運んでくる。屋台の金魚を手にできると、飛び上がるほど嬉しかったことを思い出す。

 

神明神宮祭りの日には、鶏肉を食べてはいけないと、ご近所のおばあさんから聞いたことがある。そして、八戸三社夏祭りが幕をあける。父はオレ達兄弟に、祭りに参加するようにと言う。高学年になると「ひとりでいたい」と言う年頃になるが、小学校時代は必ず参加させられていた。今思うと、アイデンティティ(自分はこのような人間であるという明確な存在意識の意)形成の「元型」につながったと考えます。

 

「親子ストレス」によると、「育児の強いストレス状況と、親の体罰傾向の拡大という問題は、1980年代に明らかになっていた。・・・お母さんの子どもへの関わり方についての調査、「子どもを叱る時に、打つ、つねる、縛るというような体罰を用いますか」、「子どものしていることをあれこれいけないと禁止していますか」「子どもを他の子どもと比較して気になりますか」「子どものしていることを黙って見ていられなくて、干渉してしまいますか」などの質問に対して、「良くある」、「まあまあ」などの答えてもらう。子どもへの体罰は、子どもが1歳半の段階で、すでに三分の二近くに達していることが判明し、調査担当の「精神科医の原田正文氏」は重要な知見が明らかになったと、報告している。」

 

体罰がその後の子どもの発達に悪い影響を与えているというこの意味は大きい。」なぜなら、「連鎖」するとされているからです。一歳児から三歳児を育てている母親に意識調査を行ったが、「育児不安や疲労感は、働いている母より、専業主婦のほうがやや強いこと、母親が育児中でも外で自己を表現する場をを持っている場合や夫とのコミュニケーションに満足感を持っている場合に、相対的に少ない・・・この傾向は90年代以降、現実化してきた。」

 

母のストレスは子どもへの育て方に投影されているのだろう。オレも専業主婦時代の子育ての経験がある。一子は幼稚園児二子は二歳になったばかりの頃?は、地域の「子ども劇場」の会員になり、催し物へ参加(指人形、お話、手遊び)、区でやる子ども向けのミュウジカル、「お母さんと一緒」の生番組などを、他の親子と一緒に観劇に行くなど。行動範囲は広かったと思い出す。下の子は体力がない子だったので、「おんぶ紐」の持参。おんぶしながらの活動であった。

 

オレはおてんばだったので、父によく叱られていたが、日常的な体罰はほとんどなかったと記憶している。「子ども時代の負荷」はあったが、自分自身の育てられ方による問題点の持越しはなかった。オレの親は「育てやすく、なんの問題もなっかた」といっているが、オレは半ば「良い子」を演じていたことを、親は気づかなかったのである。

 

何度でも声を大にして言おう。オレが一子出産直後、母の言葉「お母さんって呼ばれるって、幸せなんだよ!」。

 

つづきます。