【親子ストレス  汐見 稔幸】を通して思うこと

今月の上旬、姪の結婚式に参列した。一族とは名ばかりの関りしかないオレだったが、数十年ぶりの再会であった。奇麗な花嫁であった。義姉は早く結婚をして、子どもを産んでほしいとボヤいていたが、遂に実現したというわけです。

 

「親子ストレス」において以下のように書いている。「教育というのは、人類という種の持続のための、ほかの動物にはない丹念な営みの集積の事、・・・少子化というのは、この種を繋ぐということを、人類にとって必然的な行為と考えない人々が登場してきたことを、あるいは種を繋ぐということを社会が拒否し始めていることを現わしているのである。・・・人類史にとっても もっとも深刻な問題になる可能性がある。」

 

同性婚や一生独身、結婚していても子どもは産まないというカップルもいる。男性の増加、女性の選択が少子化の原因とも書いている。確かに「個人の意志」が尊重され、選択し・・という日本独自の課題がある。早朝保育、深夜保育、乳児保育などの実施をしなければならないように、政策的提起がされた。大げさに言ううなれば、生命は操作されるものなのかという 境界線にまで達しようとしているのか。しかも「無意識」のうちに。

 

これだけではない、保育現場においても、保育者不足、保育者間のトラブル、低賃金、届けられない残業、等々、問題は山積みである。更に、これだけに終わらず、親子のストレスは、深刻で、時には子の死、(自ら命を絶ってしまう、大人によって命を奪われてしまう)も後を絶たない。

 

更に、時間という異次元に対する観念そのものが「個人のもの」という発想になっているということです。特に日本は四季があり 節気が色鮮やかに展開され、「詫び さび もののあわれ」を古来よりこの国に宿しながら、命は継がれてきた。

 

以前担任をしていた4歳女児の言葉。「ルルちゃん!大きくなったら何になる?」「うーむ・・・あのね最初はお花屋さんかな!ケーキ屋さんで、お医者さんかな!」と。今オレは胸が熱くなっている。

 

    みつばちや白詰草の遠き友    オレは魔女

    水鏡うつしてかなし花菖蒲    オレは魔女

 

つづきます。