【親子ストレス   汐見 稔俊著】をとうして思う事

この本の副題は「少子社会の「育ちと育て」を考える」です。結論を以下のように述べている。戸籍(未婚の母の子 初めての子は、単に「男」「女」と表記される。結婚している子は「長男」「長女」です。)フランスは「一子」「二子」という。)女性の社会進出など、人間の考え方が「変わる」変えていかないと子どもを取り巻く問題自体が見えてこない。変わらない。依然として子どもは産みたいが産めない。胎児の段階で障害と持っていると言われたが、産んだという例、オレの友達でもあったので良く知っているが、大げさな言い方と誤解されそうだが、地獄のような家庭、 一族との関係が破綻して、離婚。その後も、泥沼から抜け出せない人生を送っている。

 

親しくしていた人の一子が自殺をした。口では大丈夫だと言っているが、内なる心はさまよっている。なぜなら「自分のせい」だという闇から解き放たれていないからです。この知人の育ってきた家庭にも心理的な要因が根強くあり、しかも見えないという気づきにくいことが 曾祖父母の時代よりあったと、オレは感じている。

 

「子ども、若者、そして育児中の世代に生じている困難な諸問題は解決しないことを訴えた。」人間観 人生観が変わらなければ前進しないだろうという警鐘を鳴らしているのです。

 

そして、もっとも危惧していたことが、遂に表面化した。6月21日昨日の事です。保育界の研修会 グループセッションに於いて、保育者間のトラブルに悩んでいるという若い主任からの発言、「中堅とのトラブルに於いて、自分は保育経験が少ない事もあって、言えない!」また、「保育者が、仲間の悪口を言っていた。それを保護者に聞かた。保護者の方は役所に電話をし、転園希望を申し立てた。」

 

なぜこのような事になったのか。オレの経験から言えることは、自分の考えや感情を「人のせい」にする典型的なタイプだということ、それだけではない、自分の「負」を子どもに向けるということです。こういうタイプの人は、特定の子に感情のはけ口にしていることに自覚がないということである。事実であり 現実です。どうしても食べれない給食を「怖い先生のいる保育室に連れて行って」食べさせる。感性が豊かでどちらかというと、「良い子」を演じ続けている子たちです。保護者も知っているとしたら「良い親」を演じなければという、ストレス(大雑把に表現してしまったが?)、まさに「親子ストレス」に悩んでいる方々です。

 

はっきりいってこのような保育士は、上司に適切なカウンセリングでも受ける必要があり、上司も園の実態を真剣に受け止め、どのようにしていくか苦悩する課題だと考えます。

 

オレも何度も経験をしました。オレはいじめられる方ですが。上司から直接、課題を申し付けられた時、オレの上司は次のように言い切った。「なにかあったら、園長のところに来なさいと 言いなさい。」よい意味での援助を得て、進めた。それでも先輩たちの「いじめ」は相変わらずであったことは言うまでもありません。支えになったのは自己肯定だったと考えています。

 

脳生理学の本を通して知ったことですが、前頭前野が発達すればするほど、争いの分野もまた発達すると。【「生の意欲」は言葉を変えると、「生の創造」といえよう。私たちのもろもろの人間行動は、「生の創造」の具現にほかならない。そして、私達は「生の創造」の努力のなかに、生きがいを感じ、生の歓びを覚え、生の価値を発見するのである。・・・平和への努力は、主体性の座、新皮質のレヴェルで論議しても報いられないだろう。・・もっと深く、人間すべてがもっている共通な営みの場、すなわち「脳幹」のレベルまで掘り下げなけるよりほかはあるまい。   「脳の話  時実利彦 著・・・1962年8月出版」】

 

勝手に尊敬している教授のおひとりです。

 

つづきます。