【絵本とおとうさん】 保育編

子どもが小さければ小さいほど、母親の出番が多いのは自然かもしれません。「母乳」という恵みを母を通して我が子に与えられるというのは、至高の喜び。休日、お父さんは ”どこかな?”。第二子の場合 母はこれまでの二倍のエネルギーだけではなくなる。もし核家族の場合ほど深刻な育児のスタートです。

 

「お父さん!ルルちゃんに 麦茶お願い?」・・・「お父さん。」ようやく苦ーい顔をして・・こうして何かが誰かの心に「負の遺産」としてインップトしていったとすると

 

ましてや「絵本?・・母親が読んであげるもんだろう」と昭和の始めあたりの親に育てられた人は苦労するかもしれません。これも仕方ないことです。「絵本は母親の役目」と言う時代のなごりが根強く、残っているのでしょう。普通の男性ならば自身の感受性をもつ、大人には「読む」こと自体耐えられない要素があるに違いないと少しだけ、援護側に立ってもいいかなと思います。

 

「父の背中」をみて育った時代の親ならば少し違うかなと期待したいという願いもある。幼少期ならば母親の情愛は必然です。その母を支えるのは、どっしりした父の存在、家族の愛情なしでは一家離散を生み出す「根っこ」になりかねない。

 

子どもが五歳 六歳になったら、さあ お父さんデビュー、お待たせしました。理由があります。子どもは自分を通して「人間を見つめ、社会との接点に立ち、やがて自分の力でこの社会を生き始めようとします。そのとき、親は子ども達にとって、社会を生き抜くための  道しるべ を示すことが必要なのです。」(絵本のある子育て・・参考)

 

優れた絵本には、おもしろい物語のなかに、そっと秘められるように、自分の成長 社会への道しるべが語られています。「人生と社会への道案内を語るのは、お父さん{父性}の役割に他ありません。

 

でも急にと言うわけにはいきません。小さいころから 小さい事をやっておかないと子どもに認めて貰えないのではないでしょうか。オレは小さいころ父の「胡坐にすっぽりと収まり、母からの情愛と同じ心地よさを味わいながら、父の発する言葉を聞いていた」ことを思い出します。

 

「父性」を通して築かれる信頼 父性愛 絆は生涯、消えることはないのです。

やがて迎えるであろう子どもの「青春期の困難」に対し、絵本 スキンシップによって共有された体験が「ことばの紡いだ糸が」自分自身を決断へと導くに相違ないと、オレの体験から 断言できます。

 

「じごくのそうべい」(綱渡りを職とする そうべいさんが地獄での出会い 生き返ったことが、面白おかしく語られています)は大人が言っていることを理解している(一歳児でも)なら、興味津々です。「三匹のやぎのがらがらどん」は年齢を問わず人気です。

お父さん!ありがとうございます。

 

「えっ!」「なに!」「どうした?」。むずかしい時代に、親と子にとって大切なことを見失わない様にと願いながら、保育編【絵本】を一応 区切りとします。

 

つづきます。ごきげんよう