オレは魔女保育編・・・ことば

発語・・・子どもが言葉を話し始めるということは、本当に愛らしい光景です。見守る大人の喜びも心にきざみこまれるに違いない。本によると「胎児」の時も聞いているといわれます。面白い事例があります。初めてのことば、「あぐど」と。(東北地方では かかとのことを「あぐど」といいます。大和言葉であると本でよんだことがあります)周りの大人たちは勿論驚いたでしょう。んだ胎児期に聞いたと考えられるということでした。  発語は、個人差が大きく 一般に満一歳の誕生日を迎える前後から、言葉らしいものがでてくる。そして、一歳半から二歳前後にかけて、急激に「おしゃべり」を始める。三歳頃になると、大人との会話ができ、四歳ともなると 大人顔負けとなり、イキイキとした「ぉとば」を聞き、「話す」段階へと成長する。

 

5月連休明け、お誕生日がくると 4歳になるクラスにお邪魔したとき女児が言うには、「保子先生!見せて(エプロンの刺繍を指さして) へぇ!あたらしくつくったの?「そうなのよ。」「へぇ!すごいね。手ずくり?  柿でしょ りんごでしょ これはなあにって言って」「これなぁんだ?」「三個のレモン。」「すごーい!手ずくりってわかるの?数もわかるの?」「うん。」  只々感心してクラスをあとにしたという次第です。

 

赤ちゃんは生後ほどなく「あーあー」とか「ブーブー」声を出したり、笑っているかのような表情を見せてくれる。天才的な我が子を褒めたたえ「この子は頭がいい子になる」と断定して、ひたすら希望の線路を走り続ける事となりかねないのである。もし、三歳過ぎても、大人の言葉を理解していないようだと観察されたときは、意識的に観察し 最悪の場合は専門家に相談することもお勧めです。

 子どもたちは 外なる世界とを自分の内なる世界にならしめていく。周囲からの無数ともいえる言葉の中にいる。無条件に受け入れ、オウム返しのように覚えていくわけだはない。「自分の活動を通して、選択的に自主的に使い始めるのである。」(「子どもとことば・・・岡本夏木著・・岩波新書より」自分のことばをいろんなかたちで用いながら、外なるものを人との関りを通うして自分のものとしていく。

 

もうすぐ 三歳になろうとする男児との会話、「先生、消防自動車と パトカーと 救急車と トラックと チェルー車と 黒いタイヤと・・・のバスね」「えっ?もういっかいおしえて?」彼は覚えられない保育士」を繰り返すが、どうしても理解できないオレに出した言葉は「赤い消防自動車ね」と。「自分の積極的なはたらきを通して獲得し、さらにそれを新たな力として、自己をひろげ、外界を作り上げていく。」(子どもとことば・・にかいてある。)オレはこの男児の発達全体の姿を学ぶ共時性を、日々送っているという環境に存在しているのです。

 

インドのカルカッタで救い出された二人の少女。「オオカミ少女」と呼ばれたのでした。カマラは3年ほどで、支え無しで歩けるようになったが、急ぐときは、4本足で走る。この習性は死する時まで変わらなかったと。ことばは45語しか使うことができなかったと言います。知能は、三歳半ぐらいだったといいます。感情表現は四、五年して、喜びや悲しみを現わしてくれた。

 

人間の赤ちゃんは、なにによって育てられ方によってなんにでも育てられるという事実を如実に物語っているのです。高等な動物であるはずの人間の「脳」は未熟な状態で生まれてくるため、人間は「教育、保育される動物」、身体的にはある特定の条件下に於いて育つが、人間の赤ちゃんの「脳」は育てられ方によってどんなにでもなりうるという事実がある。

 

「脳」は生まれてから三歳ころまでは「模倣」の時期、四歳から十歳ごろまでは「創造」の時期と言われています。なぜかといいますと、この時期は前頭連合野が働きだすからなのです。「基本的生活習慣」は三歳から五歳ころまでに身につける時なのです。よって、保育 教育が必要といわれる由縁です。

 

最後にオレが40代後半に受け持ったクラスは4月2日の時点で3歳の子ども達でした。総勢25名 そのうち、知的障害の子が1名でした。朝の集会で歌を歌っているときとか(つまりオレが何かに気を取られているときです。「先生!たろうくんがいない。」と大声をあげる。「みんな!待っててね」と言い残して探しに走る。・・・クラスに帰ってくると、子ども達はなにごともなかったかのように つぎの活動へと自然に流してくれた。オレはたろうくんとクラスの一人ひとりに無条件で助けてもらって、1年間を無事に進級するまでになりました。「感謝」です。

 

つづきます。