いのち

きょう お昼過ぎ用事を足しながら外出をしました。空は抜けるようなブルー、雲は行方不明 どこをほっつき歩いているやら。仕事をさぼっているからね  コートを脱ぎ棄てたいほど暖かでありました。あちこちの庭の木 柿の木にひとつ ふたつの熟した名残柿が見えた。お裾分けですね。さざんかのはなは、日陰には残っているが、秋風に持っていかれたり、朝の冷気に焼かれたりして 無残にも落ちてしまった花びらもあった。芒は真っ青な空に広がり得意げだった。秋明菊 黄菊 ・・・自然と言うものはどの季においても至高の芸術です。美しくはるかに深く ひとつひとつ丁寧に存在しています。

人と人との出会いが間接的な縁から 始まる時代のど真ん中にあります。其のこと自体は問題の有無を問うものではないのですが、自殺願望を記した女性たちが「罠」に落ちてしまった。アパートまで行ってしまった女性たちの気持ちはどんなんだったろうか?

「死にたい」 と思ったことのない人は その人生に於いて「ない」と100%答えられる人はどのくらい存在するのだろうか!生まれてきた命 死にたいと答えた聲はイコールなのだったろうか!共感 という次元の感情の共感 交流に そんなにもはやく 飛びつけるものだろうか?  

オレは「否」と答えます。なぜなら体験者だからです。(自殺という 繋がり願望ではないのですが 心理的には同じだと考えます。)しかもオレの場合 二人の幼い娘を連れての家出だったからです。とあるコミュニテイに隠れようとしたのです。しかし、オレ達は奇跡的にも そこから救い出してもらったのです。もしそのまま留まっていたなら オレと娘達はどういう人生の狭間に落ちていたことか・・・いま思い出しても 鳥肌が立つ恐怖が 「もうどうにも後戻りの効かない」リアルな恐怖を細胞のレベルで

体験してしまった愚かなオレの人生の一ページがあります。

この度のこの闇に気づくネット上のサイトはなかったのでしょうか。保育士として長きにわたり 担う一人ですが、命の尊さを幼少期より育む「こころ」をオレたち自身が しっかりと 己の軸として意識化し実践するネットワークを構築することが求められているとおもいます。具体的な方法を議論すべき時です。

 

はいからさんが通る・・。大和和紀』の漫画がアニメ映画となる。オレも大の大のファンでありました。憧れの女性像 憧れの少尉殿  めまいしそうなオレがタイムスリップしてしまいそうだ!”#$%&’=~

 

ごきげんよう