ジョジョ・・・トンネルを抜けて

オレ達は、キャンプに行ってきた。当日は小雨が降っていたが夕方ごろには雨具なしでも歩ける天気になり、決行したことを後悔せずに炭起こしも始められた。

まず驚いたことは、海 だった。大海原 波しぶき 岩の巨大さ これらが発する巨大な音。世界中の楽器がリズミカルに 地球の真から溢れてくるようなハーモニー みずのひとつひとつ 松の細き針 秋の野 が奏でるメロデイ そこに我らが心ゆくに任せる 指揮。なんという光景に出会ってしまったのだろうか!

大岡信氏は 歳時記の中で次のように述べている。

「俳句歳時記の源流の一つは言うまでもなく勅撰和歌集。その筆頭である『古今集』がきめた四季についてのこまかな物の見方は、規範となって日本人の自然観を深く広く支配するにいたった。しかしそこには、風水害も大火も貧困も戦乱も疫病も、ほとんど影を落としていない。古典的自然観はいわば壮大な美的フイクションの上に成立していたわけである。ただ、まことに逆説的にも、このフィクションは現実から超越していたがゆえに、かえって永続的な価値体系をかたちづくることができた。美なるものの 度しがたさがそこにある。このような古典的自然観からすると、日本の秋はまず風とともにやってくることになっていた。 立秋 とはすなわち今年最初の 秋風 を感知すべき日のことだった。

   秋来ぬと目にはさやかに見えねども 風の音にぞおどろかれぬる 藤原敏行

この有名な『古今集』秋歌部の巻頭歌は、言ってみればそういう常識を作った点で偉大だった。以来人々は、秋が立つといえば 秋風が吹くことであるというフィクションを喜んで受け入れてきたのである。」

爽やかと言う言葉は 秋の季語だとは知らずにいたオレでした。体育の日とは東京オリンピックの開会式を記念して休日となりオレ達はそのことにあやかっていることになったというわけです。理由とは歴史のなか 時にはフィクションのなかに存在していたと言えるのですね。そういう意味ではこの「アニメはフィクションであり登場する人物他全ては仮想のもの」と明記されています。しかしどんなに明記されていたとしても多面的なので フィクションの始まりはあったとしても あまりにも複雑かつ微妙な脳の組織が感知するがため、オレ達は なにやら迷路にはまり過ぎるのです。

親子でスタンド使い しかもその力はあの「エンヤ婆」から受けたもの。次々に「引き」起こる事件は 森があり 畑があり 海がひろがり 空に包まれ 町には人々が日常生活をしている 杜王町で繰広がっているとはこのオレだって夢にも思っていないでがんすよ。吉良親子の悲しき輪廻のごとき苦痛は 憎たらしいと思うと同時に哀れな宿命に同情します。吉影の爪・・・西洋の魔女も爪が長い。(ちなみにオレは日本の魔女なので 爪は普通で有ることを誓います。)人や物を引っかいたり 押し付けると傷つけることにもなるので シンボル的な意味があるのだろう。そしてなによりも気になる言葉がある。川尻早人、「愛し合っている両親から生まれたのだろうか?」。彼は父の行動を見張っている。ゾクゾクっとする。鳥肌がたつような感覚です。

実はオレも同じ体験者だからである。母はオレのことについて言った。「お前は橋の下から拾ってきた子だ」とオレは長いことこの事実を本当のことだと思い、悩み 時には死にたいと思い泣いて泣いて そのうちに眠ってしまうのです。(夜になったら川に行って死のう。すれば怒られなくともよくなる、うんうん そうしよう!)小学4年生頃、深い雪の中を漕いで行き、(これで死ねる)と決心したことがあります。なぜ今こうして生きているのか? 捨て子だといった母が「のりこーーのりこー」と叫ぶようによんだのです。フィクションのようですが、現実です。実体験なのです。なぜそこまで?オレは自由気ままな勝手人で ギャングエイジの頃は親を極限まで困らせていたようなのです。反面 家の手伝いをし(オレの家は分家だったので、人の手がなく家族が助け合わなくてはごはんも食べられない日常だったのです。)甥や姪の子守り 叔母ちゃん家の畑の手伝い(一番辛いのは 菜種落とし りんごの袋掛け 草取りなど夏場の手伝いはしんどかった。今思い出しても 汗がにじんでくるような体感でありましたす。)など。「おしん」のテレビドラマは田舎の貧乏人そのまんまでした。でも

オレの評価は捨て子の割には甲で 手のかからないいい子だったと母は言いました。三人兄弟の一人娘だったので 子供時代でもお振袖や洋服を買ってもらっていたようです。それを思うとやっぱり捨て子ではなく、手におえないおてんばでしたかな、そういえば四つ上の兄を棒をもっておいかけたり、弟には生卵をぶつけたり・・・とんでもない「わらす」でしたね。
オレは早人がどんな成長をしていくのか!案じられてならないのです。はまってしまいました。「大丈夫、早人、あなたは自分で親を選び人生を選択しているんだよ。だから今楽しいことはなんだい もしよかったら一緒にやらないかい。

 

3・11の時のオレの句です。 

弥生の日便尿あるは生の証       死する時いかに思うか春の声  

海の神号泣ののち襲う春

 

ではごきげんよう