ジョジョ・・・康一の恋

数日前の夕方、風にゆれているカーテンの隙間から 小さな人差し指を空に向けて二歳二か月の男児が叫んだ。「あっ!おつきさま」オレも声に誘われて見上げた。まだ白い三日月がほんのり青いそらの真ん中にポッカリ見えた。数人の子も気づき 窓辺はどんぐりの背比べのように並んだ 並んだね。今宵は十五夜。オレも 芒 きく 藤袴 いちじく そして梨 おまんじゅう を飾って月を迎えたいです。中秋の名月 普段見上げる頭(こうべ)はなくとも 東の空に現れたばかりの名月は本当に大きくてみごとですね。俳句は勿論ですが 和歌 詩 童謡 等にも詠われる 私達日本人の思いを代弁しているほどですね。芋煮会行事も定番になってきましたが、里芋は稲作が広まる以前より主食だったとの事で 太古の暦の時代から続いている、満月の(7世紀初め前には 新月を中心にしていた大事な年中行事だったと 歳時記にはかかれています。)行事というわけです。明日はいざよい十六夜 晩秋の月は十三夜。本当にお月様がすきな国民なのですね。

 

康一といろいろ遭った由花子、恋心は募るばかり。ついに「シンデレラスタンド」に出会う。彩は言う。「人に好かれるための運勢を完璧に変えるには心掛けがよ。」30分に一度この「口紅」を塗るのよ、運勢を変えるにはエネルギーを使う そしてこの口紅は運勢を固定させるもの、修行が必要と言うことなんですね。ところが由花子は遅れてしまったのであります。キレてしまう彼女。「なにか変だと」気づいた康一は。恋する男心 心通じるハートが運勢を変えたのであります。「キレてしまう面も含めすきなんだ」と告白。♪ ワォー ♪うらめしやー♪ シンデレラスタンドは二人の恋が本当か、賭けにでたのです。由花子は「康一に運命を託す、たとえそれがどんな運勢だろうと従う 後悔もしない」と。  何という変化成長なんでしょうか。恋は盲目ではない証ですね。康一の人を思う心の強さと愛(と言っても過言ではないでしょう。)を感じました。荒木様 あなたと言う人はなんていう方なんでしょう。康一の顔 容姿は他の人に比べ、少し童顔で 色白で 優しく ちょっとおちょこちょいな一面もあるが 芯の強い脱皮成長する天性の精神を兼ねている高校一年生、制服も真新しい 青春時代の好青年。世の女性たちよ!オレもこんな運命だったらどんなに 幸せだったろうか!

 

オレは「百人一首」を強烈に思い出したのであります。日本人ならば知らない人は存在しないはずであります。「私はどのような困難をおかしても世の中にひろめ、また正しい理解と鑑賞とを、ゆきわたらせたいと思います。その理由は①作品がすぐれていること 百人一首藤原定家が、一生の最後の仕事として、最も自由な立場で、古今の和歌の中から自分の一番好きな歌を百首選んだのです。   ②国民的教養として  百人一首は、いやしくも日本人である以上、いかなる職業 いかなる年齢層の人にも親しまれ、しかも多くは暗誦されています。これは世界的にみて驚くべき事実です。   ③絵を加えた理由   百人一首は、もと色紙に書き、歌人の肖像を描いた絵の色紙と並べて、山荘の襖に張ったものです。「歌がるた」に必ず歌人の絵がかいてあるのは、そのことを伝えたもので、絵のない百人一首は、絵を欠いた絵巻物のように淋しいものなのです。・・・絵は故実考証も確かである冷泉為恭(れいぜいためやす)のものを用いることにしました。」・・文学博士 石田吉貞著  昭和32年秋。

オレはお習字の塾に通っていたころ、軸にして仕上げた和歌があるのです・

僧正偏昭(そうじょう へんじょう)  あまつ風雲の通いひぢ吹きとぢよ をとめの姿しばし とどめむ   訳 

空吹く風よ、雲のなかの「天上への」道路を吹き閉じてくれ。この美しい天女のまいすがたを、もうしばらくとどめて、見たいと思うから。  とあります。

オレはこの軸を仕上げるために 毎日本当に毎日 練習に練習を重ねて仕上げた一軸でありました。21歳の頃かな?

光孝天皇 君がため春の野に出でてわか菜つむ わが衣手に雪は降りつつ   若菜と雪、 情景が浮かんできます。

紀 貫之  人はいさ心もしらずふるさとは 花ぞ昔の香ににほいける    

世は果てしなく過ぎたようなのですが、この国では 今なお「かるた大会」が生き続けている。なんとなんと すばらしい伝統でしょう。

 

ここまで辿り着いてフト思うことがあります。重ちーも逝きます。オレはどこかで重ちーは仗助や億泰 康一達と適度な距離を置いて 時にはつるんだりするのかなと勝手に思い込んでいました。難しいことはわからないが 一つの要因として重は年齢の割にはお金へのこだわりがあった。教員のコーヒーをこっそり飲んだり サンドイッチにこだわり 遂には吉良のスタンドにハマり 命を失った。彼はパパとママは絶対に守ると祈るような心で戦った。しかし・・・彼の家庭のことが描かれていないのでなんとも言えないのですが 自分のエネルギーを活かせなかった。仗助達に手掛かりは残したものの自分の命は手放起きたさなければならなかった。欲深い面もあるが、どこか憎めない 放っておけない人なつっこいところも持ち合わせていた。極端な言い方をするならば 重は まるで自殺でもしたかのようなのだ。鈴美が見送った時の言葉に そんな妄想を抱かせたのです。

今生活をしているのですが なにか動きを止めない流れ 力みたいな得体の知れない負を感じます。吉良はまるで影のシンボルのような存在に思えてならないです。ラスベガスで起きた乱射事件・・・容疑者の自殺は「こころを病んだ人間だ」また「心の中に入り込むことができていない」と報道されている。容疑者はギャンブル好きの資産家で温和な性格だったと報道されている。吉良の持つ「手」はまるで手足がもがれたようだようだと感じることです。つまり、「集団の力、および関係するすべてのテーマは、気的 に見ると、私達の免疫系 脚部 骨格、そして直腸と繋がっている。象徴的にみると、免疫系は、身体にとって集団の力が果たすのとまったく同じ役割をしている。損傷を与える可能性のある外部の力から、身体全体を守る、と言う働きだ。免疫系に関する病気、慢性の痛みや、骨にかかわる障害などは、気的 にみると個人レベルでの集団に関連した問題が引き金になることが多い。集団全体としての困難は、基本的に私たちの第一チャクラから力が失われる原因となり、それが極めて強いストレスになると、ごく普通の風邪から膠原病までの、免疫関連の病気にかかりやすくなる。・・・伝染病の流行は、集団としてひとつの悪い体験であり、私達ひとりひとりの第一チャクラに関係する恐れや考え方が、その集団の文化全体の「第一チャクラ」と似通っていると、その病気にかかりやすくなってしまうという性質のものだ。」・・7つのチャクラーーキャロライン・メイス著より抜粋です。

今世紀に言えることではないが、不可解なことは 死を招くことになりかねない世界であることを 今一度意識していきたいです。

ではごきげんよう